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Author:風沙
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最近は、香港明星トニー・レオンさんのファン。

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テラス・シャンブロウ
きままに独り言・・・
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ダ・ヴィンチ・コード
これは、残念ながら失敗作です。
本を読まずに映画から入ると、原作にあったワクワク感を感じらぬまま、筋とオチだけを知ってしまう結果になり、後から本を読む楽しみが確実に失われるので、せめて本を読んでから観ることをお薦めします。


。。。。。。。。ネタバレしまーーーす!!。。。。。。。。



これは、いかんでしょう。一番マズイパターンです。
表面上、きちんと撮影されているように見えながら、実はからっぽです。
原作の味わいのあるところをすべて見事なくらい、ハズしています。
もともと盛りだくさん過ぎる内容ですから、どこかで削らなければならないのですが、その削るところを間違えています。
一番美味しい肉の部分を捨てて、骨だけ残った料理のようです。

この物語は、歴史的な謎解きと、ソフィーの失われた家族、そしてラングドンの殺人容疑、追跡者シラスなど、いくつかのパートが壮大に絡まりあいながら進行します。
映画では、このパートをすべてまんべんなく説明した結果、すべて中途半端に終わらせてしまっています。
だから退屈なのだと思うな。
映画は短い時間で語らねばならないのですから、ソフィーとラングドンの人間関係に比重を置くとか、どこかポイントを絞った方が印象に残るものになったはずです。

この物語の根底にあるものは、二つの信仰のぶつかり合いです。
一つは、キリスト教の教会が長年守ってきた伝統的な聖書による世界。もう一つは、キリストとマグダラのマリアの関係を問い直し、人間として捉える新しい世界。
ソフィーとラングドンの旅は、教会によって故意に歪められたマリアの真の姿を追い求める旅でもあり、虐げられた女性性の回復の旅でもあります。
その中で、シラスが体現するのは「狂信」の哀しみです。
自ら信じる神の為に、自分を痛めつけ多くの殺人を迷いもなく行うシラスの姿は、人類が信仰の名の下に繰り返してきた残酷な業そのものです。
演じたポール・ベタニーは、ちょっと線が細すぎたような。
もっと動物的なたくましい体の俳優の方が、感じが出た気がします。

お互い正しいと信じるものが、くい違う。
そして隠された一つの秘密を渇望する。
どれだけ多くの人が、長い時の中で、それを守りぬいてきたか。
この映画に決定的に欠けているのは、息詰まるようなその重みと情熱です。

こんなにあっさり終わったのでは、原作のようにソフィーとラングドンが恋に落ちる訳にもいかなかったのでしょう。
オドレィ・トトゥと、トム・ハンクス・・・まるで、叔父と姪のような組み合わせで、嫌いではないけど、どうにも萌えは感じられません。
まったくハリウッドらしくもない清らかなラストに、思わず脱力してしまいました(笑)

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ニューワールド
とても疲れていて、何も考えずに自然に触れたい時などに観ると
いい映画かも知れません。
この監督の映画は、初めて観るのですが、エンタメというよりは
なんというか映像詩といった方がふさわしい体験でした。

美しい大地。風のそよぎ。こぼれてくる鳥の声。
穏やかな先住民たちの暮らし。
ヨーロッパ人たちが船で現れ、入植し始めた時代のアメリカ大陸。
圧倒的に広大で豊かな自然が、視界の及ぶ限りつづくのです。

それがやがて侵食され失われていくことが解っている、この監督の目は
いつもそこを見つめているような気がしました。

王の娘ポカホンタスは、入植者のスミス大尉に恋をして、結果的に
部族を裏切る形になり追放されます。
スミスは、彼女を愛しながら罪悪感に苦しみ、結局死んだことにして
彼女の元を去ります。
スミスは彼女の中に、これから失われるであろうこの土地の精霊の
すべてを見ていたような感じです。
しかしポカホンタスは、恋をした女性の多くがそうであるようにただ
スミスの事が大好きで、どんな犠牲を払ってもずっと傍にいれば幸せ
それだけなんですね。
その男女間のギャップが(笑)

抜け殻のようになった彼女は、それでも生きて、優しい男に求婚され
家族を作り、新しい文化を受け入れていきます。
一度だけ、英国に旅した時にスミスと再会しますが、しょせん「逃げた
男」(笑)
彼女は、異文化の中にあっても少しも動じる気配がない。
彼女の中にあるものは永遠に損なわれることなく、今も輝き、響き合っている
ようでした。

この映画を見て、ふと思い出したのが「アギーレ・神の怒り」。
これは、同じように植民地開拓を目指したスペインの部隊が、アマゾン
の大自然に飲みこまれていく様子が、非情に描かれた傑作です。
アギーレ隊長の狂気のせいもありましたが、そこの先住民とは、コミュ
ニケーションなんて成り立つ余地もない感じでしたから・・・
それに比べると、「ニューワールド」は優しいですね。
その分少し甘いのかな。

かもめ食堂
北の果てフィンランドで、俳句的世界に遊ぶ・・・


。。。。。。少しだけネタばれ?します。。。。。。。。。。。。。。



小林聡美を初めて見たのは、映画「同級生」だったろうか。
明るく生き生きした、ちょっと面白い女の子。
それから、一味違うユニークなキャリアの道が続いてきた。
「やっぱり猫が好き」のとぼけた感じも良かったし、いろんなドラマに出演して
いつも何かしら印象を残す人だった。
三谷幸喜氏と結婚した時は、あまりにもお似合いなので唸ってしまったくらい(笑)
そして、いまや少女は大人になり、この映画ではいろんなものを乗り越えて
人々に優しく美味しい食事を供する食堂の主人をさらりと演じている。

ファンランドで出会って、一緒に働くことになる3人の日本人女性。
なぜ、フィンランドなのか。なんでこんなに北の果てまで・・・
日本で何があったのだろうか。
たぶん、つらいこと・・・
でもそれについては、殆ど語られない。
ただ、時々クスっと笑える間を挟んで、ほのぼのとした日常が描かれるだけだ。
最小限の言葉の行間に、世界がひろがる俳句のような味わいがある。

静かな北の国の自然と街の中で、押しつけがましくない映画の時間の中で過ごすと、なんだか
気持ちがほぐされる。
そんなに思いつめることも、焦ることもないんじゃないか。
人はふらっとやって来て、つかの間この人生で同じ場所を共有し、またどこかへと旅立ってゆく。
きっとどこへ行っても何とかなるし、「良い方へ変わってゆく」
・・・ふっと肩の力が抜けて自由になるような、そんな気分になれる映画だった。

半身
ゴシック・ミステリーというジャンルかな。
作者のサラ・ウォーターズは凄い大物新人として期待されている人だそうです。
私のツボではないのですが(笑)好きな人はハマる世界だと思います。


。。。。。。少しネタバレします。。。。。。。。。。



18世紀のイギリスのムードが漂います。
舞台は、陰鬱で不潔な監獄と、富裕な上流家庭の屋敷。
ほとんどその二つをいったりきたり。
慰問の名目で、その監獄を訪れた婚期をすぎた令嬢が、ふと気になった
美しい女囚。
彼女は、霊媒だった・・・

監獄とお屋敷。対照的に見えるこの場所。
しかし話が進むにつれ、令嬢も実は女囚のように、冷ややかな世間の目や厳格な親に縛られていることが見えてきます。
狭い鳥かごの中で、世間知らずのまま、あまりにも規範に縛られ自己を抑圧しているために、その反動は強烈で理性を吹き飛ばします。
自分の欲望と普段から、よく向き合い解放しておく事は必要なんだななどと考えさせられました。
恋はもともと危険をはらんでいるものですが、この結末の痛々しさはたまらないものがあります。

事情通の友人に言わせると、同性同士の恋人の嫉妬は激しいとか。
「ブロークバック・マウンテン」でも、異性と浮気しても許せるけれど
同性ならば殺す、なんて台詞があったような・・・
この小説の最後を飾る一つの台詞も、「支配」もしくは「所有」を意味する言葉です。

「束縛」に「支配」、この作者は、少しフェチ的かも(笑)
西洋の映画や小説を読んでいると、よくこの「支配」とか「被支配」の感覚を感じる時があります。
それに濃厚な性の匂いが絡んでいます。
知らないだけかも知れませんが、日本の作品でそれを感じることは少ないような気がする。
日本人の性は、もっと淡白というかあまり「支配」「被支配」にはこだわりがないように思います。
骨格的に男女の性差が少ないこととも関係あるかもしれない、なんて考えているのですが・・・

それにしても、この小説を読むと、使用人に対する認識が変わりますね~
彼らはご主人さまの言いなりのイメージがあったのに、これを読んで実は逆の場合もあることを知りました。
確かに流行のメイド喫茶を見ていても、メイドはかしづいているように見えて、実は客を思うままに支配しているのかもしれない・・・(笑)
作風が、萩尾望都の世界を思わせるという意見もありましたが
確かに通じるところもあるけれど、萩尾作品に不可欠な「透明感」とは、まったく違う世界です。


連理の枝
これは、反則技でしょう。


。。。。。。。重要なネタバレします。。。注意!!。。。。。



プレーボーイが、バス停で出会った美女と恋仲に・・・
ところが、彼女は不治の病で・・・
ここまでは、よくあるストーリーかなぁと思うのですが、この映画は
さらに哀しみをつけ加えてしまうんですね。
いくら何でも彼まで不治の病とは、やり過ぎだと思います。

しかも、全体的にはコメディタッチなんですよ。
二人を支える先輩と親友の恋も、明るく楽しい。
特に先輩役の俳優さんは、たぶんシリアスでも主役を張れるタイプと思いますが
いい味わいで笑わせてくれます。
それがラスト近くになって、いきなり悲劇モードへ怒涛の急展開。
時間配分が、無理すぎる~(笑)

あれだけそばにいた先輩と親友のその後のエピソードが、何も描かれないのも物足りないですね。
彼の方まで死なせなくても、プレーボーイが彼女に出会って、かけがえのない物を失う傷みを知り
真面目になってくストーリーをじっくり深めていった方が、映画としては充実したんじゃないかなぁ。

それにしても、韓国では二人でラーメン作って食べる時は、ああやって鍋から直接少しずつ食べるのが風習なんでしょうか。面白い。

タイフーン
ウィルスで壊れてたパソコンがようやく復帰で、さっそく観て来たのが「タイフーン」です。

しかしこれは残念ながら・・・お金がかかってて、いい場面もいっぱいあるのに、全体としては駄目だという、とっても勿体ない映画の典型でした(笑)

。。。。。。。。ネタバレします。。。。。。。。。。。。。。。。。


家族を殺された脱北者の海賊は、受け入れを拒否した南朝鮮を深く恨み、核物質を盗んで船に搭載、復讐を果たそうとする。
一方、その動きを阻止しようと極秘任務についたのが、若きエリート軍人。
この二人に、離ればなれになっていた海賊の姉(余命わずか)が絡んでのドラマです。
アイデアはいい、人もいっぱい、ロケ地もいっぱい、セットも豪華、CGも豪華って、力入りまくりの映画です。
でも「力作」であっても「傑作」にはほど遠い・・・

力ばっかり入って、かえってメリハリを無くし、肝心なところの描写が足りなかったり・・・結局、脚本が弱いってことでしょうね。
大事なところをもっと膨らませ、いらないところはもっと思い切って削らないと、胸に迫ってこないのです。

敵対関係にあるはずの海賊とエリート軍人の間に、次第に芽生える友情のようなもの・・・ここがこの映画の一番のポイントだと思うのですが、エピソードがあまりに足らなすぎ。
他にも描きたいことがありすぎで、すべてを描こうとして、かえってどれも中途半端に終わってるというのが、何とも惜しい(涙)
それでも、おとりにされていた姉を奪還して車に乗り込もうとする海賊を、軍人が銃で狙いながら、どうしても撃てない場面は、良かったです。
こんな場面がもっとあったら、最高だったのになぁ。

軍人と海賊は、それぞれ仲間にも恵まれているのですが、そのへんの描写も経過が弱くて、いきなり「おまえのためなら命も惜しくない」って感じで、え?そうだったの?(笑)
しかも、自分の為に仲間がバタバタ死んでいくのに、二人ともそれに対する哀惜の場面がいっさいなし(酷いよ笑)
ながながと銃撃戦を写す時間があるなら、人間関係にもっと時間をさいて欲しかった。
脱北家族が欺かれ、失望の中で殺され、子供たちがさまよう場面も長いです。
でも、その悲惨さは子役の熱演もあって胸に迫り、映画館でも泣いてる人がいっぱいいました。
やはりこれが現実にもあることなのだと思うと、やりきれない気持ちになります。

そしてもう一つ、観客の涙を誘ったのが、軍人が同期の仲間と困難な船への突入作戦を敢行する場面。
それぞれ肉親への別れの手紙を残した上で、たとえ死んでも記録にさえ残らない極秘任務に次々と身を投じていく若者たちの姿には、打たれるものがあります。
日本においては愛国心というものの取り扱いに微妙な側面があるし、自分なりの思考が大事だと常々思っているので、この場面には多くを感じました。
もちろん愛国心を毛嫌いしたり、逆に愛国心を押し付けようとする勢力にはうんざりです・・・愛国心の本質をもっと深く考えてみるべきでしょう。
どちらにしろ祖国とは、こういう青年たちが護るのに値する国であって欲しい。
青年たちに常に犠牲を要求するばかりでなく、それにふさわしい国を目指さなければいけないと思います。
特に今の日本では・・・ね。

海賊役のドンゴン、軍人役のジェンジェとも素敵です。
特に静かな中に強さを張り詰めた男ジェンジェの魅力に気付かされました。
二人とも実に良く頑張っているのに、脚本がねぇ・・・本当に惜しい映画です。

ブロークバック・マウンテン
う~ん、とても静かで、そして痛い映画でした。

。。。。。。。。。ネタバレします!。。。。。。。。。。。。。。。


自分の愛情と性のあり方も、まだよく理解しきれてない気がするし(笑)、男女関係にしろ同性同士の関係にしろ、深く語れるものじゃないのだけれど・・・
人それぞれに個性や性格の違いがあるように、その人にとっての愛とか性のあり方も千差万別じゃないかな~と思っている。
そして、それを周囲に受け入れられ実現できるかどうかは、その社会や時代に左右される。

この映画の二人のカウボーイが生きている世界では、男同士で愛し合う事など、とても認められない。
それどころか、バレたら殺されるかも知れないのだ。
(だけどなんで「殺す」んだろう。いくら気に入らないからって、なんでそこまでするんだろう。
本当に暴力的だ・・・そっちの方がよほど、神の教えに背く許されない行為じゃないだろうか)
イニスの父親は、リンチで殺したゲイの死体を息子に見せつける。
子供に、わざわざ凄惨な場面を見せる愛のなさ。
男らしさを過剰におしつける、こういう人は、むしろ心の弱い人なんだと思う。
怖くて仕方ないから、強く見せたいのだ。
愛がある本当に強い人は、そんな事をする必要もない。

イニスは無骨で寡黙なタイプ、ジャックは甘いハンサムで陽気な感じ。
でも二人とも父親とうまくいかない過去があり、孤独で居場所がない。
最初はほとんど話もしないが、少しずつ打ち解けていく。
深い山の奥で羊を放牧する日々。
二人は、そこで一線を越える・・・・が、仕事が終われば別れるしかない。
下界に戻って、それぞれ結婚して子供も生まれる。
しかし、心は・・・・

この映画が痛いのは、やっぱり妻子がいるところ。
特に、イニスの妻と娘が見ていてつらかった。
妻は偶然、二人の秘密を知ってしまうが、口にさえ出せない。
娘も父親から、微妙に距離を置かれる。
愛されない苦しみ・・・・なんだか身につまされました。
偽装生活は、本人も家族も蝕む。
結局、イニスは自分が本当に欲するものから目をそらし、望まない生活に耐えながら、周囲を遠ざけ傷つける。

ジャックは思い切って一緒に暮らそうと何度も誘うが、トラウマのあるイニスはどうしても踏み切れない。
最後に会った時、「いっそ別れられれば」と言うジャックにイニスが
「好きにしろ」
と言いながら、泣き出してしまう場面、強烈に胸が痛かった。
無口で感情表現の下手な男が、子供のように膝から崩れおちてくのだ。
思わず謝りながら駆け寄って、優しく支えるジャックの中に母性さえ感じた。
去っていく車を見ながら、ジャックが思い出すのは、昔この山で過ごした至福の時間。
焚き火の前で、突っ立ったまま眠そうな彼をイニスが後ろから抱きしめて、小さな声で歌ってくれた子守唄なのだ・・・

出会ったのが、良かったのか悪かったのか。
出会わなければ、もっと穏やかに暮らせたのかも知れない。
でもたぶん、運命なんだろう。
魂が触れ合うような相手には、性別を問わず、なかなか出会えるものじゃない。
二人がお互いにとって、居場所だったのだと思うから。

エミリー・ローズ
地味だけど、結構しっかり出来てる映画です。
ホラー風味の法廷劇なのかな、とそんなに期待せず軽い気持ちで見たのですが、いろいろ考えさせられました。

。。。。。。。ネタバレあります。。。。。。。。。。。。。。。。

エミリー・ローズは、悪魔憑きだったのか病気だったのか。
その死は、病気を放置した神父の責任だと、検察は追求する。
昇進目当てに弁護を引き受けた女性弁護士は無宗教。
ところが裁判の進行とともに、彼女は次第に悪魔の存在を感じ始め・・・

前半は、思った以上にホラーでした。夜中に思い出すと後悔しそう(笑)
ひたひたと迫りくる悪魔の気配が、実に嫌~な感じです。
公私ともに追い詰められ、女性弁護士の心が試されます。
そして、裁判前には考えられなかった選択・・・昇進を蹴ってまで、神父に証言させるのです。
彼女は、この裁判を経験して変容します。
「闇を覗くとは、そういうことだ」
と、神父は言います。
最後まで付き合う、エミリーのボーイフレンドの言葉が印象的。
「彼女を知る前の僕は、まるで死人みたいなものだった」
深い闇を覗く時こそ、同時に光の存在も初めて強く感じることが出来るようになるのかも知れません。

失敗した悪魔払い、エミリーの死・・・まるで悪魔の勝利のように見えるこの事件が、やがて光に変わってゆくのは不思議な感動です。
苦しみを引き受け、多くの人に知らしめる・・・ふと拉致家族の皆さんを連想しました。
邪悪なものは、悪魔の姿とは限らない・・・こうした聖なる戦いを戦っている人たちが、実は日本にもいるんじゃないかと思います。

声さえ出すなと・・・
テレビで、コメンテーターの弁護士が岩国市の住民投票について、こんな風なことを言っていた。
「国全体の防衛戦略を考えれば、こうした住民投票は無意味だ」
驚いたのと同時に、ちょっと笑ってしまった。
この人は本当に「弁護士」なんだろうか。
お上の言うことには、国民は「声」さえ上げずに逆らわず、右から左へ大人しく従えってこと(笑)
ずいぶん都合のいい、奴隷みたいな国民だな~(笑)
そういう精神で弁護士が務まるなら、ずいぶん楽なことだろう。

住民投票は50%を上回り、成立した。
結果は反対票が賛成票をはるかに上回った。
この結果そのものよりも、「投票自体」に「行くな」と圧力をかけた人達がいた事に驚く。
考え方に違いがあるのは、むしろ当然。
皆、それぞれの事情を抱え、自分で考え、賛成でも反対でもそれを表明する自由がある。
それこそが素晴らしい事なのに。

しかし「投票自体」に「行くな」とは。「無意味」とは。
それは、民主主義の自殺みたいなものじゃないだろうか。
こんなんじゃ、まともな国だなんてとても言えなくなってしまう。

入院した頃は、まだ寒くて黒いコートでちょうど良かったけれど、帰ってきた日はもう春めいていて、厚着はおかしな感じだった。
タクシーの窓から、あちこちの家の庭で咲いている梅の花が光って見えた。
病室で知り合った人は、「先のことは、あんまり考えないようにしてるのよ」と柔らかく笑っていた。
「でもね、いつか桜の頃に退院するのが、私の野望なの」
春は美しいけど、ちょっと嫌いだ。
たくさんの出会いや別れ、移動がある。
次々に花が咲き散って、無理やり時間を意識させられる。

本屋に寄ったら、作家の村上春樹さんが自分のHPで、読者のメールに丁寧に答えたのをまとめた本が出ていた。
ざっと読んだだけだけど
「最近、傷つく事があったのですが、そういう時、村上さんはどうしていますか?」と聞かれたのに対して
「その時、自分が第三者を巻き込んで傷つけるような事をしたかどうかをチェックして、それが無ければOKと思うようにしている」
みたいな答えを返していたのが心に残った。
傷ついた時、誰かを傷つけていなければOK・・・

病院の売店で、週刊誌をパラパラ見ていた。
野口さんの事件は、まだ時々取り上げられていた。
いつものニュースのサイクルなら、とっくに消えてもおかしくない頃。
帰宅して久しぶりにネットを見ると、事件の資料を集めたり、テレビ局の操作的な報道を地道に記録しているサイトがあったりして、一時期ほどでは無いとしても、まだ関心を持ち続けている人達がいるらしい。
この事件は他人事ではない、そんな危機感。
政治家、警察官、ジャーナリスト・・・こんなにみんな偽装なのか。
野口さんのご遺族が、もし法的な異議申し立てが出来たら、その時はこの潜在的な関心の高さが、力を生み出せるかも知れない。



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